西嶋和紙の里は山梨県の南側、富士山のふもとの身延町にあります。千円札に富士山と共に描かれている事で有名な本栖湖があり、南北に富士川が流れ、周囲は山々に囲まれた自然あふれる環境にあります。
西嶋和紙の歴史は、さかのぼること戦国時代、望月清兵衛翁という武士が伊豆国田方郡立野村(現在の伊豆市)にて「修善寺紙」の製法を学び西嶋に持ち帰ったことに始まると言い伝えられています。その和紙は三椏(みつまた)を主な原料としたもので、清兵衛翁が西嶋で和紙を漉き、国主の武田信玄に献上したところ、信玄公はたいへん喜んで「運上紙」として認め清兵衛翁を紙の役人に命ぜられました。その後徳川時代まで西嶋を中心に和紙づくりが盛んに行なわれますが、明治以降は徐々に減り、現在では西嶋だけとなりました。
戦後より西嶋では「画仙紙」の開発に取り組みます。また故紙(一度漉いた三椏等を原料とした和紙)や稲ワラなどさまざまな原料を導入し、書道半紙や画仙紙などの書道用紙の製造を主におこなっています。
西嶋和紙は独特の柔らかさがあり、墨の発色がよく深みのある色合いが表現できます。また美しいにじみと筆ざわりがよく、国内外の多くの書道家に愛されています。
さかのぼること